人間の穢れた心 [黒歴史]
当ブログを閲覧頂きありがとうございます!(^^)!
以前私は「放射能」「放射線」の測定調査業務に関わった事がありました
今から数年前の事です。福島原発事故により流れた放射線量はかなりの物でした
「勉強して成果をだしたら地元でこの業務を展開してほしい」と言われます。
ある企業に私は所属していて執行で第一派として業務にたずさわりました
毎日片道60キロ。往復120キロ先の現地に数か月通い続けました
調査個所は全部で1000か所をこえていました
二人一組の3チームで朝8時30分から調査を開始です
一軒一軒訪ねて説明をしながらといった地味な作業です
家の周りから最も使われる生活空間などを環境省から貸し出しをされた器具を使い調査をします
地味に時間も掛かる作業で一日平均15件程です
指定場所までの移動時間や留守の事もある場合は一日8件などもざらにありました。集合住宅地、団地、工場、公共施設など行きました
バッテリーを背中のリュックに積んでの作業も当たり前にあります
丁度時期的に冬と言う事もあり電池の消耗も早く暗くなるのも早いのもあり、大体4時30には切り上げるといった感じです
いつものように調査するために尋ねると「帰れ!」いきなり罵声を浴びます
ですが身の安全のためにはと言う説明をすると
「長生きなんかできねえからほっといてくれ。そんな事やったってかわらねえだろうが。迷惑だ」
ガシャン!!
・・・・。
言葉になりませんでした。
確かに調査をやったら直ぐに変るかと言われたら何も変わりません。
濃度が高いとして除染対象区域と報告するだけで市町村の対応が早く対応してくれる訳でもありません
その逆もあり尋ねた場所は妊婦さんのいる家で
「待っていました。助けてください」
と、まで言われました。
放射の事が頭からはなれず、寝不足と精神的に不安定な方でした。無理もありません。
お腹には新しい命が宿っています
調査が終わり特に問題のない数値を報告した所
「ありがとうございます。これで安心できます」
何度もお礼を言われました。やってよかったと言う実感と、言葉にはできないもやもやな感じがします
ある家では罵声を浴び、そしてある家では何度もお礼を言われる
とても複雑です。自分自身は所詮何もしてあげられない、ただ測定をする事しかできない何も出来ない人間と言う事が無性に腹立たしく感じていました
ここまで毎日きてるのに器具を使う測定だけしかできない事が兎に角憂鬱になりました
そんな気持ちが交差しながら、毎日色々な現場に行き、山ものぼったりなどして調査対象区域は全部回りきる事ができました
色々あったけどこの経験は間違いなく無駄にはならなかったと実感できたのですが
・・・・
会社に戻ると、今度は違う事をやってほしいといわれます
えっ?
思わず口からでてしまいました
「放射能の件はまたそのうちに。だから今度はまた違う事をしてもらうから」
あの数か月間はなんだったのだろうと怒りが込み上げます
危険個所も少なくなく自分自身少なくてもセシウムを吸ってしまうような濃度の高い場所にも何度も足を運びました。
お礼を言われたり、その逆もありました。ですが多少なりとも人の為になれたれと言う気持ちで取り組んできた事だけに戻ったらこの有様です
「この人間と一緒にいてはいけない」私はそう感じました
捨て駒のようにされるのは勘弁です。私はYESマンになるつもりは毛頭ありません
翌日会社をやめました。
後々解ったことが、会社の社長同士の話の折り合いが上手くいかなかったらしくその大元になったのは・・・・
「金銭」的なことだったらしいです
苦しんでいる人達を目の前で見ていた私はあきれて何も言えませんでした
「何でも金か」
大変な状態になっている人達をネタにしてお金をむしり取る。
こすい連中です。
それが今の世の中の悲しい現状。
私は仮に出世できたとしても「金の亡者」みたいな人間にはなりたくないとつくづく思いました
もっと人間らしくいたいとおもいます。それが例え周りからお人好しと言われ様が構いません。
世の中に一人位お人好しがいてもバチはあたらないと思います
ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
以前私は「放射能」「放射線」の測定調査業務に関わった事がありました
今から数年前の事です。福島原発事故により流れた放射線量はかなりの物でした
「勉強して成果をだしたら地元でこの業務を展開してほしい」と言われます。
ある企業に私は所属していて執行で第一派として業務にたずさわりました
毎日片道60キロ。往復120キロ先の現地に数か月通い続けました
調査個所は全部で1000か所をこえていました
二人一組の3チームで朝8時30分から調査を開始です
一軒一軒訪ねて説明をしながらといった地味な作業です
家の周りから最も使われる生活空間などを環境省から貸し出しをされた器具を使い調査をします
地味に時間も掛かる作業で一日平均15件程です
指定場所までの移動時間や留守の事もある場合は一日8件などもざらにありました。集合住宅地、団地、工場、公共施設など行きました
バッテリーを背中のリュックに積んでの作業も当たり前にあります
丁度時期的に冬と言う事もあり電池の消耗も早く暗くなるのも早いのもあり、大体4時30には切り上げるといった感じです
いつものように調査するために尋ねると「帰れ!」いきなり罵声を浴びます
ですが身の安全のためにはと言う説明をすると
「長生きなんかできねえからほっといてくれ。そんな事やったってかわらねえだろうが。迷惑だ」
ガシャン!!
・・・・。
言葉になりませんでした。
確かに調査をやったら直ぐに変るかと言われたら何も変わりません。
濃度が高いとして除染対象区域と報告するだけで市町村の対応が早く対応してくれる訳でもありません
その逆もあり尋ねた場所は妊婦さんのいる家で
「待っていました。助けてください」
と、まで言われました。
放射の事が頭からはなれず、寝不足と精神的に不安定な方でした。無理もありません。
お腹には新しい命が宿っています
調査が終わり特に問題のない数値を報告した所
「ありがとうございます。これで安心できます」
何度もお礼を言われました。やってよかったと言う実感と、言葉にはできないもやもやな感じがします
ある家では罵声を浴び、そしてある家では何度もお礼を言われる
とても複雑です。自分自身は所詮何もしてあげられない、ただ測定をする事しかできない何も出来ない人間と言う事が無性に腹立たしく感じていました
ここまで毎日きてるのに器具を使う測定だけしかできない事が兎に角憂鬱になりました
そんな気持ちが交差しながら、毎日色々な現場に行き、山ものぼったりなどして調査対象区域は全部回りきる事ができました
色々あったけどこの経験は間違いなく無駄にはならなかったと実感できたのですが
・・・・
会社に戻ると、今度は違う事をやってほしいといわれます
えっ?
思わず口からでてしまいました
「放射能の件はまたそのうちに。だから今度はまた違う事をしてもらうから」
あの数か月間はなんだったのだろうと怒りが込み上げます
危険個所も少なくなく自分自身少なくてもセシウムを吸ってしまうような濃度の高い場所にも何度も足を運びました。
お礼を言われたり、その逆もありました。ですが多少なりとも人の為になれたれと言う気持ちで取り組んできた事だけに戻ったらこの有様です
「この人間と一緒にいてはいけない」私はそう感じました
捨て駒のようにされるのは勘弁です。私はYESマンになるつもりは毛頭ありません
翌日会社をやめました。
後々解ったことが、会社の社長同士の話の折り合いが上手くいかなかったらしくその大元になったのは・・・・
「金銭」的なことだったらしいです
苦しんでいる人達を目の前で見ていた私はあきれて何も言えませんでした
「何でも金か」
大変な状態になっている人達をネタにしてお金をむしり取る。
こすい連中です。
それが今の世の中の悲しい現状。
私は仮に出世できたとしても「金の亡者」みたいな人間にはなりたくないとつくづく思いました
もっと人間らしくいたいとおもいます。それが例え周りからお人好しと言われ様が構いません。
世の中に一人位お人好しがいてもバチはあたらないと思います
ここまで読んで頂きありがとうございましたm(__)m
テレビで測定してる人たちを見たことが
ありますが・・・。
そういう理不尽な事とか言われていたんですね。
大変な思いをしてお仕事されていたんですね。
お疲れ様でしたm(__)m
by 長友 (2015-11-06 14:07)